安心•安全な場を探しても見つからないあなたへ
カウンセリングやグループワークの場は、安心•安全な場である必要がある。
それは、人が自分と向き合う時、外に対して無防備になってしまうからだ。
更に言えば、外から攻撃性を感じると、身体は勝手に外へ意識が向いてしまう。
だから、カウンセラー(ファシリテーター)は、その場の安心•安全を守る役割も兼ねている。
しかし、カウンセラーじゃない側の人の中に一人でも、安心•安全を、カウンセラーに完全に投げていたら。
その時点で、その場は安心•安全じゃなくなる。
その、安心•安全を放棄した人がその場の安心•安全を壊した張本人となる。
その人の出している空気、言動、その人の存在自体が、場の空気を悪くし、その場の人たちに気を使わせ、言いたい事もやりたい事もされないようにする。
そして、その人がその場の支配者となる。
その人は、自分にとって安心•安全じゃないと、そこの責任者や周りを責める。(心の中も含む)
ほとんどの周りの人は、その人の横暴さに腹を立てるのではなく、その人の空気に当たり前に従う。
そうやって、当たり前にその人の独裁国家が出来上がる。
そしてその中に、その人がやっている事を許せない人が、その人に立ち向かうと、周りの人はどっちサイドにつくか分かるだろうか。
答えは、独裁者となったその人。
独裁者に立ち向かった人は周りからら平和を壊そうとした悪人としての批判•攻撃•阻害という処罰を受ける事になる。
周りの人は、安心•安全を放棄した訳ではないが、安心•安全に対し受け身だ。
自分自身が安心•安全を守ろうとか、自分は横暴さを許さないとか、自発的にやっていない。知らず知らず、独裁者に加担している事に気が付かない。
独裁者に加担している周りの人たちは、
自分は関係ない。
誰かがどうにかすればいい。
自分はそこまで望んでない。
自分は人より大変。
暇な人がやればいい。
責任者が何とかすればいい。
自分には無理。
等。
これらは自分が自発性を持たない事を正当化する理由だ。
カウンセリングの場もグループワークの場も、そして人が集まる場も、人が集まる場は全てこれと同じ事が起きる。
周りの人たちへ。
あなたたちは、きっといろんな場に期待しては裏切られてきた人たちだと思う。
安心•安全な場なんて無いんだろうと、
場が壊れ、場を離れる度失望したんだろうと思う。
その通り。
あなたは絶対に安心•安全な場に巡り会えない。
あなたたち一人一人が、あなたにとって大事な場を使い捨てる意識を捨て、踏み止まり、場を守る意識を持たない限り。
ただし、あなたが犠牲になるしかない場は大事だと思ってはいけない場。
それは、あなたが犠牲になってまで守ってはいけない場だ。
あなたが犠牲にならないと成立し得ないのであれば、あなたはその場を、いづれは離れなければいけない。
そうでなければ、いづれ、自分を犠牲にして自分を壊すか、それとも、周りを壊すか。
そのどちらかになる。
ニュースで流れる事件は、決して他人事ではなく、こうやってあるラインを超えてしまう事で、簡単に起きてしまう。